その次の世界へ 魂の旅

目には見えない世界についてのメモ

誰でも受け容れるはNGなのだ

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それは本当に善きことなのでしょうか?

もしかすると、一般的には「分け隔てなく誰でも受け容れる」「分け隔てなく誰でも助ける」という事が「善きこと」として捉えられているかもしれません。しかし、時にはそれが「善くないこと」だったりすることもあるのだと思います。特に通常は目に見えないはずのエネルギーが見えてしまうと、そう言わずには居られません。先日、といっても3月末ですが、遠方からお寺の奥様がエナジーフルーエンスのワークを受けにお越しになってくださいました。お寺に生まれ育ったお嬢さんや、お寺でお仕事をされていらっしゃるお客様は何名様かいらっしゃって、そのお客様の方々も、そのお寺の奥様と全く同じようなことをおっしゃっていたのですが、人って自らの心の底から(その人が望むより良い方向への変化)変わろうという意志を持たない限り、自らまた元のところ(堕落した場所・堕落した自分)へ戻って行ってしまうものなのだな、ということを話していました。このことについて私は6〜7年前からずっと考えていたことであり、この意見に「全く同感!全くその通りだと思う!」のですが、今年に入ってからはそれが確信に変わっておりました。

目には見えないエネルギーの影響

お寺の方々というのは、世間一般的に少し特殊な方々のカウンセリングを行っていらっしゃる事があるようなのですが、その少し特殊な方々というのは、誤解を恐れずにハッキリ言えば、かなりネガティブなエネルギー、精神、意識の状態であり、ともすると身体の状態もネガティブな状態かもしれません。(ここまで言えば勘の良い人は、どのような状態にある方々なのかお察し頂けるかもしれませんね。)そのため、敏感な感性を持っていらっしゃる方が何のプロテクションもない状態で、そのようなネガティブな状態にある方々のカウンセリングを受け持ったりすれば、当然エネルギー的な影響は免れない状態になってしまうかと思われます。そして、さらにエネルギーフィールド全体(意識や精神、エネルギーのすべて)がかなりネガティブな状態にある人というのを、通常は見えない世界の観点から見てみると、他人のエネルギーを引っ張ったり、吸い取る傾向にあることが多いです。偏見で言っているのではなく、そのような人を(遠隔などでも)リーディングしてみるとすぐに分かることであり、今までの傾向を見て言っているのです。これは敏感、鈍感に関わらずエネルギーを吸い取られてしまったり、その代わりにネガティブなエネルギーを置き土産されてしまったりするわけですが、そうすると、吸い取られてしまった側の人のエネルギーは一気にダウンしてしまい、いくら休んでも疲れが取れなくなる症状から始まり、徐々に体調を崩したり、感情面でも自分ではないかのような状態になってしまったりするのです。このことには、何か一般的に言われている事柄では片付けられないものがあります。まあ、それがエネルギー(波動)の影響というものなのですが。

支援すべきは自立の基盤がある人

人の支援と聞けば、それはとても立派なことのように感じるかもしれませんが、支援という場(エネルギーフィールド)には、本当に支援が必要ない人まで集まって来る傾向があるということはどうも否めません。そして、これは支援と似たようなことですが、カウンセリングのような「受け容れる」という姿勢が必要な場(エネルギーフィールド)にも、受け容れる際にはその節度に気をつけるべき人が集まって来る傾向があります。これはスピリチュアルの場にも全く同じことが言えます。むしろ、スピリチュアルな世界のほうが、そのような人に出会う確率が高いと思います。しかし、本当に支援すべき人や受け容れるべき人というのは、実は「自立心の基盤がそこそこある人」だったりします。そのように言えば、自立心が少しでもあるなら支援なんて必要ないのでは?などと思うかもしれませんが、そのような人だって、思いがけず転んでしまって、自力で立ち上がるのに苦労する事だってあります。しかし、そのような人は、他者から手を差し伸べて貰って起き上がり、再び自力で歩いて行けるように努力をします。また、自立心の基盤のある人というのは、人に対して節度を持っていますので、境界線を踏み越えていくこともありませんし、失礼な言葉遣いや失礼な対応態度もしません。もちろん、人の良心につけ込んだり利用するようなこともしません。それは支援する、支援されるということがどのようなことであるか、心のどこかで理解しているからなのでしょう。自立心の基盤のある人は、むやみやたらに他者からエネルギーを取って行こうとはしませんし、延々と他者や環境に対する愚痴や批判を言い続けることもありません。

カオスでしか見つけられないもの

それらと真逆の行動を取っているのが「依存心の旺盛な人」です。少しイヤな言い方になってしまいますが、オブラートなんかに包んで書けば言葉の意味が伝わらなくなってしまいますので、そのままダイレクトな表現で書くことにします。依存心の旺盛な人というのは、自立心の基盤を持っている人とは異なり、手を差し伸べて起き上がる事が出来ても、自力で歩く努力をしません。それどころか、再び倒れようとします。また、手を貸してくれる相手がどこまで受け容れてくれるのか様子を見ながら、最初はじわじわと少しずつ近寄って来ますが、その内ある一定のラインを超えると、止めどなくどんどん依存して来るようになります。そして、自分に対して望ましくない状況を与えると考える人や状況(しかし実際は違う。単にその人がそう思い込んでいるだけなのです。)の愚痴や悪口、批判を延々と言い続け「このような状況から抜け出したい」と、さも心の底から本気で思っているかのように言うのですが、残念ながらそのような人のエネルギーを見てみるとそうでは無いことが多いのです。心地良さや快楽を感じる依存先を探すべく、ネガティブな状況に甘んじていることが多いのです!これを意識のエネルギー的には「カオス」と呼びますが、カオスのエネルギーフィールドに入り込んでしまった人は、自力でそこから抜け出すしかないと思います。それは相当つらいことではありますが、そのつらさの中にも学びと気づきがあり、カオスの中でしか見つけられない学びや気づきを得て行く必要があるのです。これは私の持論ではなく、エネルギーの法則の一部でもありますが、依存心の旺盛な人への支援は、一般的な支援の仕方とは異なる方法で行う必要があります。安易に便宜を図ったり、手助けをしてはならないのです。また、何にしても依存というのは、違う視点から見れば「快楽同然」だと思いますよ。そのような人に、わざわざ良からぬ影響を受けてまでも、自身を犠牲にして支援したり、受け容れたりする必要はないのだと思います。というよりは、犠牲にならぬよう、そのようなタイプの人に対しては、接し方や支援の仕方について些細な点でも注意を払いながら行う必要があります。感受性が強かったり、センサーが敏感な人はもちろんですが、そうではない人にも同じことが言えます。特に、人を支援する仕事やカウンセラー、セラピスト、またはヒーラーやスピリチュアルな事柄に関連している方々は、これらの境界線をきっちりと護って行く必要があります。このように書くと、冷たいように思えるかもしれませんが、境界線がグダグダで依存を助長するようなことになってしまえば、それこそ支援ではなく、その人が自分の足で立てなくさせていることにもなり得ます。「よく見てみな!あなたは自力で立てるし、歩けるんだよ。」と教える事や、びしっと境界線を引いて、依存して来ようとするのを突っぱね返すのも支援のうちであり、愛のひとつだと私は思います。

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
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