その次の世界へ 魂の旅

目には見えない世界についてのメモ

霊を「ただの邪気」と呼んでみる

f:id:dolphinparty:20180119213659j:plain

 

軽いものから重いものまで

最近は少しずつホームページの方にも説明などを書き加えつつあるのですが、レゾナンスワークのページにあるメニューを行う際に、ある程度の軽めの邪気であればワークを行ううちに自然とその人のエネルギー場の外に出て行ってくれる事が殆どですが、時々これらのワークを行うだけでは自然に出て行ってはくれない邪気というものもあります。これは自然に出て行ってくれる邪気よりも少し密度のある、やや重めの邪気になります。「邪気」と呼んでいますが、自然に出て行ってくれないような邪気となれば、明らかに「霊」と呼んだほうが良さそうなものではあります。しかし、私の中で「霊」と呼ぶよりも「邪気」の範囲であると認識していたほうが気持ちが楽ですし、余計な影響を受けずに済むので、ここはあえて「邪気」と呼ぶようにしました(笑)もちろん、邪気にもごく軽いものから非常に重いものや強烈なものまで「レベル」がありますが、それを全てひっくるめて「邪気」と呼びます。

別の所から見たらそれは「ただの邪気」

別の見方をすればこういう事です。3次元、4次元、5次元のレベルで見れば、それは「霊」のように認識出来るかもしれません。しかし、6次元、7次元、それ以上のレベルから見てみれば、それは「密度の濃い邪気」または「ネガティブエネルギーの塊」です。以前はしっかりと人の姿をして見えていたものも、最近の私にはそれらはモヤモヤした密度の濃い煙や弾力のある煙のように見えるようになったのですが、それは私がいる場所とでも言えばいいのでしょうか?私が立っている場所、それを見ている場所(次元)が変わったからなのかもしれないと思いました。しかし、憑依のある人のオーラの周辺には相変わらず肉眼で光が見えたりはしていますので、「霊」と呼ぶべき「邪気」を全く認識出来なくなったわけではないのだな、と思いました。私としてはそんなものは認識出来なくなっても全然いいのですけどね。そのほうが楽なので。しかし、そうは問屋が卸さないのでしょう。

波動を一定レベルに保つために

私の場合、見えない世界を扱うためには、あらゆるレベルの場所にあるものを一通り見ておかなくてはならなかったのかもしれません。とても大変に思えた4次元まっただ中の世界は通り過ぎたように感じております。とは言っても、本来は目に見えない世界を認識出来るというだけでもアストラル界(幽界と言われている場所、スピリットの世界)に繋がってしまいやすい傾向にあると思いますので、5次元以下のエネルギーに留まることは避けなければならないと思っております。これはこのような仕事をしていくにあたっては大変重要なことではありますが、このような仕事をしている、いないに関わらず、サイキックセンサーが少しでも開いている人の誰にでもに言えることだと思いますので、私だけに限った事ではありません。もしもこのような仕事をされていくのであれば、霊が見える見えない、というような世界にとどまっているのではなく、さらにその上を目指して行くほうがいいのではないかと個人的には思うのです。それには、余計な意識を削ぎ落として行かなくてはなりませんが・・・。また、ある一定のレベルの波動を保つためにも、継続的に自分自身を観て行きつつ、日々自分のエネルギー場を浄化して行かなくてはなりません。一般的にも波動というものは、ちょっとしたことで簡単に上がったり下がったりします。今ではそれもかなり振れ幅が無くなって来ましたが、2015年から垣間みる事になってしまった「4次元幽界の体験」があまりにも強烈だったため、私はあれ以来、自分のエネルギー場の浄化と自分の内面を観ることがすっかり日課になってしまいました。それに、以前に増してさらにセンサーが鋭敏&繊細になってしまったため、どこかへ出かけたり、誰かと会った際にオーラにエネルギーがかぶってしまった場合や、その他の事でも以前よりも多く浄化をするようになりました。でも、けして神経質というわけではありませんよ(元々そういう性格ではないと思います・笑)

さらにシンプルに、もっとシンプルに

しかし、意識の波動が軽くなると心の中がとてもシンプルになって行きますね。よりシンプルに物事を楽しむ事が出来るようになり、余計な事を考えなくなりますし、余計な心配や不安もなくなります。不思議ですが、身体までもが軽くなったのを日々感じております。(しかし実際に体重が軽くなったのではありません。体重計の数字は相変わらずです。)また、以前よりも人間くさいような感じもしております。あくまでも、憶測の範囲内ではありますが、これは余計な感情エネルギーが取れて来たせいで、自分自身のエネルギーがシンプルになったからではないかと思われます。自分でそんなこと言うのもナンですけどね。でも、記録として書いておくためには、主観的でも客観的でも、とにかく自分で自分の事を書いていくしかございませんので、そこはどうか悪しからず。そんなブログをいつも読んで下さり、ありがとうございます。勿論、まだまだ精進の道は続いております。

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
20170302214307
f:id:dolphinparty:20170829151702g:plain