その次の世界へ 魂の旅

目には見えない世界についてのメモ

それは魂の試みのひとつに過ぎない

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それは水子のせいではございません

そういえば、水子(みずこ)については今までに一度も書いたことがなかったという事に気づいたので、ちょっとだけ記しておこうと思いました。時々、セッションにおいてこのようなテーマが持ち上がりますが、水子について気にされていらっしゃる方は多いものですね。それは、やはりというべきか、男性よりも女性の方が圧倒的に多いです。水子については流産の場合なども含まれるようですが、今まで偶然目撃した経験などから、流産といった場合は、もう一度その母親のところへ生まれて来ようと試みる魂も多いように見受けられます。そのようなことについてはあまり細かく観ることはありませんが、もちろん実際に生まれて来た時の魂が、流産したときに来ていた魂とは別の魂だったという場合もあるかもしれませんね。流産にしても、事情があったにしても「私に水子が憑いていませんか?」というようなご質問は以前から度々受ける事があり、中には水子供養をされた方もいらっしゃったりして、水子霊が自分に憑いているのではないかと思ったり、もしかしたらそのせいで物事の気が停滞しているのではないか?と気にされていらっしゃる方も結構多いようですが、結論から申し上げますと、気になさらなくて大丈夫です。水子霊はその性質なのか、人には取り憑かないと思います。もしも水子霊が取り憑いていると言って来た霊能者がいたとしたら、それは何か違う種類のものを取り違えて言っている可能性があると思います。水子霊のせいで運気が悪くなっているからお祓いをした方が良いと言って来た場合はとんでもありません。そのような事はありません。運気が悪くなっているとしたらその人自身の意識の質やオーラ環境(オーラの質とでも言いますか)が悪くなっているためだったり、その他の要因によるものと思われます。

水子供養がもたらす可能性のあるもの

「それでは、水子供養はしなくていいのですね?」と聞いて来る方もいらっしゃるのですが、供養してあげられるのであれば、供養したほうがいいのでは?と思います。何故なら、それはその魂に対する「お祈り」に代わるものだと思うからです。3次元の密度が濃くて波動の重い場所、肉体をはじめ、様々な制約や制限のある場所へ来る時に、その魂によっては降りて来るのにも色々と躊躇があるものと感じます。今現在、生きている方の中にも、そのような想いを持ってこの次元に降りて来たような方も時々お見かけしますのでね。この次元に降りて来ようとする魂の中には、降りて来ること自体を何度か試しているものもいるようです。チャレンジしているという感じでしょうか。そのような魂の次なるチャレンジに関して、無事にこの次元に降りて来ることが出来て、肉体を持って生きることに勇気を見出せるよう、水子供養を通じてお祈りしてあげたら良いのだと思います。あくまでも私個人の見解では、水子供養は祟りを恐れて行うものではないと思います。エネルギーを拝見していてそのように思うのですけどね。そして、そのように供養という行動を取ったり、供養するという体験をすることによって、自分自身の中を見つめる良い機会になったり、何らかの形でバランスを取ろうとする契機になったり、何かに気づいたりすることがあるかもしれませんので。

彼らはいつでもチャレンジしている

一度は妊娠して、流産の兆候がオーラに滲み出ている人を見かけることがあります。私はそのような時、魂がその人の傍から離れて行こうとするのを感じているのですが、さらに「それはどうしてなのかしら?」と思って観た時、妊娠している女性側にもちょっとした学びがあることも多かったです。その学びの内容については、精神的なものだったり、物理的なものだったりと人によって異なりますが、いずれにしても一度そのような状態になることによって学び、新たに得て行く価値観や意識などがある場合が殆どでした。そして、この世に人間として降りて来ようとする魂にとっても、おそらく何らかの意図や学びや得るものがあるものと思われます。ただ、この次元に降りて来ようと試みている(チャレンジしている感じ)ということだけはハッキリと感じております。それも、失敗したとしても何度かチャレンジするようですね。これは流産の場合でも、事情があって出産まで至らなかった場合でも同じような感じがしています。そして、事情により出産まで至らなかった場合、いわゆる中絶ということになりますが、自分自身に対して罪悪感を持ってしまう人もいらっしゃいます。物事に対する見方というのは何であれ「良い/悪い」というように分かれてしまう傾向があるためでしょう。それは人によって育った文化や価値観などが異なっているためです。しかし、通常目には見えない世界から観れば、罪悪感を持ち続ける必要はないように思えます。事情により、その時は生まれて来る事が出来なかったとしても、魂が発するエネルギーの傾向を捉えてみれば、おそらくは他の人のところに無事に生まれている可能性がかなり大きいと思われます。そして、降りて来ようと試みる魂のほうでも「今回この世に生まれ出る可能性が低いかもしれない」ということを把握しているかのように感じます。大雑把に言えば、妊娠する人のその時の環境や状況などをよく見ているのです。これは生まれて来ようとする魂全般に言えると思いますし、特に妊娠直前の・・・受精直前直後というべきか、着床までの間というべきか・・・の女性の周りに貼り付いている光る魂(死んで浮遊しているものとは全くことなります。)を見てみるとよく解ります。なので、水子のことで罪悪感を持ち続けるよりも、そのような体験をしたことで自分自身は何を得て、何を学んだのか?ということについて考えるほうが有益だと思いますよ。罪悪感は心の毒であり、エネルギーの重しですのでね。しかしながら、私は中絶に賛成しているわけではありません。反対もしておりません。その人の事情によるものなので、他人がとやかく言う事ではないと思っております。

 

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
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