その次の世界へ 魂の旅

目には見えない世界についてのメモ

神社参拝のあれこれ

2018-happynewyear

2018年、あけましておめでとうございます。

新年初めのセッションは既に開始しておりますが、

今年もセッションを通じてたくさんの方々と

接して行くことが出来たら幸いでございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

初詣、もう行きましたか?

新年は初詣などに行かれる人も多いと思います。社に向かって手を合わせる時はどのような言葉が心に思い浮かんでいるのでしょうか?もしかして「◇◇が△△になりますように」と祈っていますか?もしもそのように祈っているとしたら、ここは是非「自分への宣言」へと変えてしまいましょう。私はどういうわけか、先祖代々(なんと16代も!)が神社で神職に携わっている家へと嫁いでしまいました。しかも、夫の父方も母方も代々の家系が神社で、父も母も神主、巫女をしていました。だからといって夫と私は神社について特別視はしておりません。むしろ敏感な体質であるため、自ら神社には行きませんので初詣にも行かず、年末年始の祈祷で猛烈に忙しかった父を、都内の某神社まで車で迎えに行ったのみに留まります。(神社も霊場には違いありませんのでね。)ただ、参拝の仕方について時々親族の中でも話題にのぼるのが、誰か他の神様のような存在に向かって祈っても仕方が無いということです。神社の社の中をちらっと覗くとお分かり頂けると思うのですが、社の中には必ず正円形の鏡があることはご存知でしょうか?もちろん、神社に足繁く通っている人であれば既にご存知かと思います。この鏡は何のために社の中にあるのかというと、自分を映し出すために置かれているのです。自分に向かって(自分の心、内側)祈りを捧げるようなものです。自分自身を根っこから信頼出来ている人であれば、きっとこの感覚もお分かり頂けると思います。神様はみなさんの「自分」の外側に、まるで自分とは全く異なる存在としているわけではないのです。実はみなさんの「自分」の内側にのみいます。そしてこの神様はとてもパワフルです。そして、万物の中にも宿る神という性質としっかり繋がっていますので、理屈はさておき、自分の内なる神性の領域に繋がる事によって、自然と感謝の念も湧き出て来ると思います。その領域にしっかりと繋がり、感謝の気持ちを持ちながら過ごす事によって、さらにはあらゆるものにも感謝のエネルギーを送る事にも繋がっていくということなのです。本来は立派な社も(あるいは他の宗教であれば礼拝堂など)細かい手順を踏むような儀式も要りません。地味ですが実にシンプルなものなのです。で、神社で参拝する時も、本来ならば自分の内側にある「そこ」に向かって祈るというわけです。元々の古神道ではそのようにすることが当たり前の事として捉えられていたようですね。私のところにセッションに来て下さるお客様の中にも神社がお好きな方々が多いですので、もしかしたらこのような事を書けばガッカリされてしまうかもしれませんが、神社のどこかに神様がいるわけではないため、自分の内側に神様がいる(神性の領域がある)ということを感じつつ、その領域に向かって祈る(=自分への宣言と万物への感謝の表明)ということをすると、さらにどんどん自分の内側の神様と繋がって行く事が出来るかと思います。これはひいては自分を信じる事にも繋がりますので、実はとても大切な事だったりもするのです。

脱・他力本願しましょう!

最初に書いたとおり、神社では「△△出来ますように」と願いを祈る事も多いと思いますが、 この祈り方のままのマインドでは他力本願的なエネルギーは拭いきれません。絵馬などにも「祈願」という言葉が書かれていたりするので、多くの方々はこれを見て「絵馬に願いを書くとそれが叶う」と思い込んでしまうのかもしれませんが、願いを叶えるのは絵馬に宿る不思議な力ではなく、あくまでも自分自身のマインドに他なりませんので、絵馬には「○○が達成出来ますように」ではなくて「○○を達成する!」とか「○○になる」というように能動的に書く事をお勧め致します。お守りも持っていれば願いが叶うのではなく、自分の願いを叶えるマインドを高めるためにお守りを持つのです。そのお守りを日常の中で頻繁に目にしたり、握りしめたりすることで、やる気を出したり、余計な事を考えるのはやめよう、と気を持ち直したりしながら、願いを叶える方向へとマインドを向けて行く事が出来るのです。自分の中で士気を高める事が出来るのであれば、例えば特定のハンカチでも、天然石でも、ぬいぐるみのマスコットでも何でも良いのです。社に向かって手を合わせる事や、絵馬に願いを書いたりする事や、お守りを持つ事は、あくまでも自分の内なる神性の領域にアクセスするきっかけにすぎないのです。そこをお忘れなく参拝されると、さらにスピリチュアルな深い体験をされることもあるでしょう。しかし余談ですが、神社には他力本願で何かを叶えたいという人々や、現世利益的なものを求めてやって来る人々も多いせいか、一般的に人が集まる場所に比較して浮遊霊や邪気の密度(量?)がすごいです。あまりにも他力本願で居過ぎると、オーラに貼り付かれたり、家について来たり、つきまとわれたりしちゃいますよ〜。なので、他人が神社にお参りに行くのをどうのこうの言うことは全くありませんが、敏感な私達はある時から行くのをやめました。しかし、遥か昔の古神道の時代には、今のような淀んだエネルギーが周囲を取り巻いているのではなく、澄んだエネルギーに満ちあふれていたのではないかと思います。まさに神秘的で神聖な場所だったのでは・・・?ここまで書いておいてナンですが、あまり余計なことを書くと、現役の宮司でもあるお義父さんに怒られてしまいそうなので、この辺にしておこうと思います(家族や親戚もこのブログを見ていますので・笑)

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
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